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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4.3点
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自筆「源氏物語」の「東屋(あづまや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「東屋の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明石中宮の皇子・匂宮、そして大君(おおいきみ)に似た美しさを持つ浮舟とのきらびやかな恋物語が描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。。◎【真作保証】 中村秋峰 自作 仁清写紅葉絵茶碗 京焼 清水焼 伝統工芸士 コレクター放出品 茶道具 京都。30452/○秋華造 京焼 茶碗 金彩色絵 サンタクロース クリスマス 抹茶碗 茶道具。茶道具 抹茶茶碗 掛分 「兎と独楽手毬」、 京焼 秋峰窯 中村良二作、桐共箱■新品■。★茶道具/陶磁器!三島 茶碗!五代『清水六兵衛』作!共箱!★。k14-5540[MIT] 千家十職 楽吉左衛門 菊之絵 蓋置 共箱 即中斎書付 茶道具。茶道具 抹茶茶碗 色絵 花兎(はなうさぎ)、京焼 相模竜泉作、桐共箱 新品。京焼! 如山 ☆仁清椿・抹茶碗☆ TAK113 茶道具 茶器 ギフト。某蒐集家放出品!膳所焼 御本写茶碗 裏千家十四代 淡々斎 花押 銘 藤浪 ☆86。21896/○加藤昌山 仁清風扇面文 京焼 茶碗 共箱 抹茶碗 茶道具。【八八八】伊東陶山 南無阿弥陀仏 茶碗 ◆合わせ箱付 茶道具 抹茶碗 【c-160】。◎【真作保証】 佐々木松楽 自作 高橋悦道 極箱 黒楽茶碗 京都 大徳寺 臨済宗 (後藤瑞巌 小田雪窓 佐々木輝夫 福富雪底) 茶道具 滋賀県 ⑧。茶道具! 香菊 ☆額あじさい抹茶碗☆ TYG487 木箱付 新品 京焼 水差し 棗 茶釜 ギフト。茶道具 抹茶茶碗 色絵 蕪(かぶ)画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品、。出雲 楽山焼 倉崎権兵衛造 茶入 円能斎書付 箱 利休好み虫喰い蓋 検 裏千家 表千家 茶道具 保証品。共箱付の極上状態品です!昭和ビンテージ 京焼 平安玉泉造 煎茶器揃え 宝瓶急須二客・湯呑五客 セット 寿・桃紋 玉露用 共箱 TKM。【豆緑】古美術/永楽善五郎造 安南写茶碗 福 古共箱 茶道具 浜064。■雄雪 楽黒 茶碗 共箱 共布 茶道具 黒楽 茶碗 根生雄雪 j67。21917/☆國領寿人 松林茶碗 竹田益州箱書付 花押在 京焼 国領寿人 東斎 共箱 共布 抹茶碗 茶道具。茶道具 抹茶茶碗 色絵 花水木(はなみずき)画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。21091/○伊藤桂楽 赤楽茶碗 京焼 共箱 共布 抹茶碗 茶道具。【茶】三代 小川 長楽 (裕起夫) 黒 茶碗。茶道具 抹茶茶碗 色絵 吹寄、京焼 中村清彩(せいさい)作。『新品』 三代・佐々木昭楽作 黒楽茶碗 桐共箱。番浦史郎(造)魚文 鉢 共箱 菓子鉢 茶道具 懐石道具 音羽山房 現代工芸 陶磁器 古陶磁器 z3190o。茶道具! 原花月 ☆白かいらぎ抹茶碗☆ TKS488 新品 京焼 水差し 棗 茶釜 ギフト。茶道具! 土谷瑞光 ☆花の雲抹茶碗☆ TZH657 新品 京焼 建水 蓋置 ギフト。【骨董・茶道具】★音羽山窯 橋本永豊★★仁清色絵荒磯画茶碗 dn311xb.。茶道具 鉄刷毛目 筒茶碗 光夫造 共箱 コレクター放出 旧家蔵出し 送料無料。10463/▲七世 川崎和楽 白楽松風茶碗 陶印在 共箱 楽焼 京焼 抹茶碗 茶道具。●e1657 永楽善五郎 妙全作 絵唐津写 筒向付 5客 十六代 永楽善五郎 識箱。茶道具! 西嶋秀樹 ☆錆窯変抹茶碗☆ THY646 新品 京焼 水差し 棗 茶釜 ギフト。d34 技巧名品 人気作家 美濃焼 無形重要文化財 名工 若尾利貞 作 唐津 茶碗 抹茶碗 共箱 希少作 秀逸作 茶道具 本物保証。茶道具! 原花月 ☆富士波裏抹茶碗☆ KH01 新品 京焼 建水 蓋置 ギフト。小西平内 ★ 赤楽 茶碗 ★ 共箱 ★ 師:川喜多半泥子 ★ 泡雪が降り積もった様な景色の逸品 ★ 茶道具 ★。骨董古美術時代物/十二代 坂倉新兵衛 六十八翁 茶碗 共箱 茶道具 本物保証。■楠廸庵■茶道具 茶碗 膳所焼 橋絵茶碗 共箱 岩崎新定作。八代 吉向十三軒 干支庚辰 御本手 茶碗 茶道具 共箱付 未使用 龍飛鳳舞 本物保障 画像10枚掲載中。楽山焼 十一代 空権作 長岡空権 長岡住右衛門 茶 共箱。茶道具 抹茶茶碗 色絵 芦画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。「背燈は、灯を壁に向けて暗くする」で、「灯燭を後ろに向けて暗く、帳(とばり)を隔てて 言葉を交わすことはできません。」という「白氏文集」の中の有名一節です。》
A
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)
という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。。【逢絢亭】茶道具 茶碗 京焼 紅安南写 菊の絵 花蝶窯 手塚石雲 共箱入り。10512/○七十四代朝日豊斎 干支巳茶碗 朝日焼 共箱 抹茶碗 茶道具。茶道具 抹茶茶碗 色絵 沢瀉(おもだか)画、 京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。》
《浮舟の母、娘の良縁を願う》
《中の君、薫の君に浮舟を薦める》
《思はれいはれむ》・・・・か、やすからぬなりけり。
心地なくなとはあらぬ人の、なまはらたちやすく、
思ひのまゝにそすこしありける。かの家にも隠ろへては
据ゑたりぬへけれと、しか隠ろへたらむをいとほしと思ひて、
かく扱ふに、年ころかたはら去らす、明け暮れ見ならひて
かたみに心細くわりなしと思へり。
「こゝは、またかくあはれて、危ふけなる所なめり。
さる心したまへ。曹司曹司にある物とも、
召し出てゝ使ひたまへ。宿直人のことなと言ひおきてはへるも、
いとうしろめたけれと、かしこにはらたちうらみらるゝか、
いとくるしけれは」と、打(うち)な(泣)きて・・・《かへ(帰)る。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋》
《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君の子・浮舟(大君と中の君とは異母姉妹)の良縁を期待する母君》
《浮舟の母君(中将の君)、中の君に浮舟の庇護を依頼する》
《乳母、宮(今上天皇の皇子・匂宮)のふるまいを嘆き浮舟を励ます》
《浮舟、中の君に対面して慰められる》
《母親(浮舟の母君)はまた母親で、いっそう娘(浮舟)をこのままにしておくことが
もったいなく残念でならない。なんとか無事に願いどおりの縁組をさせて
やりたいと思うのだが、ああしたみっともない事件のために、
世間からあさはかな女と思われたり言われたりするかもしれないのが》・・・・不安であった。。【 陶芸作品 】大塩昭山 ★ 赤膚焼 茶碗 ★ 共箱共布栞 ★ 珍しい絵付け ★ いのしし ★ 奈良絵 ★ 茶道具 ★。茶道具 抹茶茶碗 色絵 梅(うめ)画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品、。骨董古美術時代物/江戸初期肥後作 古小代焼(小岱焼) 平茶碗 箱書:保田憲司 本物保証。茶道具 抹茶茶碗 色絵 蔦、 京焼 中村清彩作 桐共箱■新品■。茶道具 抹茶茶碗 紅白梅絵、京焼 中村秋峰作 桐共箱■新品■。茶道具 抹茶茶碗 乾山写 青楓、京焼 鈴木一点作 桐共箱■新品■。粉吹風茶碗 虎渓山水月窯 荒川豊蔵 監修窯☆33。【逢絢亭】茶道具 茶碗 京焼 浪越に富士の図 真葛(宮川)香斎 共箱入り。【 陶芸作品 】★ 須田祥豊 ★ 野々村仁清 写 黒花菱 茶碗 ★ 共箱 ★ 金彩が艶やかな逸品 ★ 如拙庵 ★ 京焼 茶道具 ★。★※★※喜楽造 赤楽茶碗 黒楽茶碗 壱双★※★※。21984/○通次阿山 仁清写 茄子 茶碗 共箱 抹茶碗 茶道具。21824/○七十四代 朝日豊斎 松林豊斎 茶碗 朝日焼 干支 酉 茶碗 共箱 抹茶碗 茶道具。楽茶碗 黒茶碗 茶道具セット 茶箱 抹茶碗 茶道具 古物 レトロ茶碗 レア物。茶道具 抹茶茶碗 色絵 蔦(つた)画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。
《The Eastern Cottage(東屋)》
She had hoped that the girl, seen safely to womanhood,
might make a good marriage for herself.
And now they had the scorn of the world to look forward to,
and must face charges of rashness and frivolity.
She was not an insensitive woman, but she tended to be
headstrong and somewhat erratic.
Though it would not have been impossible to hide Ukifune in a corner
of the governor's mansion, she had dismissed the thought as too unfeeling.
They had always been together and the separation was cruel for both of them.
"This place won't be really safe either until it is finished.
Do be careful.
I've sent some women to look after you and given orders to the guards.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《東屋》
母并非不明事理的人,只是容易怒,
又略有些儿愎自用。其不妨把浮舟藏在自己邸内。
但以藏在自己家里会委屈浮舟,所以决定采取法。
母女人多年以来形影不,朝夕相,如今突然分居,
彼此都不寂寞。母女儿:“屋子没有完全竣工,
生怕有不慎之,必小心在意。
各房里的侍女都可叫来使。宿人然都已吩咐了,
是很不放心。然而那常守要生气,
故我不得不回去,真痛苦!”母女人泪而。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
左の写真が「源氏物語」東屋の巻の末尾(原本番号66-B)の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。。茶道具! 原花月 ☆富士・山下白雨 抹茶碗☆ KH03 新品 京焼 建水 蓋置 ギフト。茶道具 数茶碗 色変 青海波 5 客、 田中香泉作 桐共箱■新品■。【八八八】人間国宝 原清 粉引茶碗 ◆共箱 茶道具 抹茶碗 【c-017】。茶道具 抹茶茶碗 仁清 柊(ひいらぎ)絵、 京焼 秋峰窯 中村良二作 桐共箱■新品。茶道具 抹茶茶碗 色絵 柚子(ゆず)画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(東屋の巻)MRI 50―47B
自筆二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「東屋の巻」主人公・東屋の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる中の君と浮舟。
「源氏物語絵巻 」東屋一(国宝)髪を梳かせている中の君(左下)と、
女房に詞書を読んでもらいながら絵物語に見入る浮舟(中央上)
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「東屋」原本に記されております。紫式部が「東屋」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「東屋の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「東屋の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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