《The Ivy(宿木)》 Embarrassed at her inability to hold back tears, she hid her face behind a fan. She was a delight, and he pitied her; and at the same time he could see that precisely this appeal would make it difficult for other men to stay away. His doubts came back, and his resentment. The chrysanthemums had not yet taken on their last color, for the more carefully cultivated the chrysanthemum, the slower it is to change. Yet a single blossom, for whatever reason, had changed to that most beautiful of colors. The prince had it brought to him. "'I do not love, among flowers, the chrysanthemum only,'" he whispered.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)旧所蔵「源氏物語」
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。明治23年初版。ボール表紙本。。神秘霊魂・口よせの術/高田俊一郎/大正7年/忍術魔法術/痛烈なる実行方法の書いてあるのは知らなかった・双龍軒先生は武芸の達人であろう。f23080405〇地学事始 上中下 3巻揃い 松山棟庵訳述、慶應義塾出版局 木版色刷地図 各国旗入 明治3年〇和本古書古文書。f24011501〇支那選述 冠註天台四教儀集註 上中下三冊揃 元禄8年 芳野屋権兵衛板〇和本古書古文書。日本名蹟図誌第三編・加能宝鑑・上下2冊/渡辺市太郎/明治31年/加賀国総説・能美郡総説・石川郡総説・金沢市総説・河北郡総説・能登郡総説。イソップ原作 楠山正雄編 武井武雄画『イソップものがたり 幼年文庫』昭和24年 光文社刊。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見ニ付 乍恐以書付奉申上候 4丁 藩主井伊直弼⑨ 下野国安蘇郡 現在の佐野市 231015。経典【仁王経開題 附仁王経陀羅尼】高野山根本大塔完成局 真言宗 経文 (管理74425016)。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。五本亭万羽編『八雲拾遺 高根五歌仙 全』文化9年序刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 成田蒼句収載。平城明徳序『元明花鳥画典』(全2冊揃)1883年 青木嵩山堂刊 明治時代和本 木版画 元明華鳥画典 中国絵画 中国美術 中国古画。絵図面古文書●宝永2年(1705) 城郭図 縄張り 240504。『複製本 山陽筆 象墜記 原本:高松宮家蔵品 絹本 別冊付き 審美書院 年代不明 頼翁 真蹟 象墜帖 戦前。【洛座】王羲之彙帖大観 10冊 揃い 于右任題 呉昌碩 < 煎茶道具急須中国古美術中国古書漢籍書道碑法帖。川尻宝岑序 一糸画『寛政秘録夢物語』明治18年 村杉吉作刊/永昌堂発兌 明治時代和本 浮世絵 錦絵。浜野知三郎編『海保漁村先生年譜 附論語駁異』昭和13年刊 太田錦城に師事した幕末の考証学派の儒学者/漢学者 漢文集。太平記新釈 石田吉貞 著 大同館書店 大正15年 裸本。廓東近丸撰『噺の尻馬』(全5冊揃)文政6年河内屋儀助他刊 百溪禄郎太旧蔵書(印記「百溪蔵書」)江戸時代和本 噺本 落語 妖怪図入。矢橋赤山・矢橋赤水著 大野鉄之助編『赤山遺稿・赤水遺稿』(全2冊揃)昭和10年 矢橋龍吉刊(岐阜県不破郡)岐阜県・美濃赤坂郷土史料。(2)珍品古書和本「単騎要略」全5冊揃 武具 鎧 甲冑 着用 方法ほか絵入 村井昌弘 江戸期 木版画 虫損あります。》
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」宿木(やどりぎ)の巻》
《原本上部に玄宗皇帝と楊貴妃の物語を詠った漢詩の落款が押捺・宿木の原文に引用されている。》
《「かゝるにこそ、人も、》・・・・え思ひ放(はな)たさらめ」と、うたかはしきか、たゝならて、
うらめしきなめり。菊(きく)の、またよくも移(うつ)ろひはてゝ、わさとつくろひ立(た)て
させ給(たま)ひたるは、中々遲(おそ)きに、いかなる一本(もと)にかあらむ、いと見(み)所ありて、
移(うつ)ろひたるを、取(と)りわきて折(を)らせ給(たま)ひて
、「花の中に、ひとへに」
と、誦(すむ)し給(たま)ひて、
「なにかしの御子(みこ)の、(この)花めてたる夕そかし、いにしへ、天人(あまひと)の
翔(かけ)りて、琵琶(ひは)の手教(をし)へけるは。何(なに)事も、淺(あさ)くなりにたる世は、
物憂(う)しや」
とて、御こと、さし置(お)き給(たま)ふを、「口惜(くちを)し」と思(おほ)して、
「心こそ、淺(あさ)くもあらめ。昔(むかし)を傳(つた)へたらんこと(事)さへは、なとてか、
さし・・・・《も」とて》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」宿木(やどりぎ)の巻》
《原本上部に玄宗皇帝と楊貴妃の物語を詠った漢詩の落款が押捺・宿木の原文に引用されている。》
《源氏の君と女三の宮(朱雀天皇の皇女)の御子・中納言(薫の君)美しい浮舟の出生の秘密》
〔三十六・今上帝の皇子・匂宮と中の君の愛情が深まる〕
《あの中納言(薫の君)もこのお方(中の君)をやはりあきらめきれないのだろうと、
宮(今上帝の皇子・匂宮)は》・・・・・・疑念も波立ってうらめしくお思いなのであろう。
菊の花がまだ十分には色変りしきらず、ことさらによく手入れをおさせになっているこのお邸(やしき)のは、
かえって色の移ろいもおそいが、そのなかのどうした一本(ひともと)であろうか、
まったくみごとに色づいているのを、宮(今上帝の皇子・匂宮)が特にお折らせになって、
(今上帝の皇子・匂宮)「花の中に偏(ひとへ)に」
とお口ずさみになり、
(今上帝の皇子・匂宮)「なにがしの皇子(みこ)がこの花をたたえていた夕べのことでしたね、
昔天人が翔(か)け降(くだ)って琵琶(びわ)の手を教えたというのは。
何事もあさはかになってしまった末の世は情けないことです」
とおっしゃって、琵琶(びわ)のお琴を下にお置きになるのを、女君(中の君)は残り惜しくお思いになって、
(中の君)「人の心はあさはかにもなりましたでしょうけれど、
昔の名手から伝えられた技量(わざ)までがどうしてそれほど劣るはずが・・・・・・《ありましょう」》
備考・匂宮は、今上帝と明石中宮の皇子。中納言・薫の君は、源氏の君と女三の宮(朱雀天皇の皇女)の御子。
中の君は、匂宮の妻。権大納言の君(八の宮)は、大君(おおいきみ)と中の君の父。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《The Ivy(宿木)》
Embarrassed at her inability to hold back tears, she hid her face behind a fan.
She was a delight, and he pitied her; and at the same time he could see that precisely this appeal would make it difficult for other men to stay away.
His doubts came back, and his resentment.
The chrysanthemums had not yet taken on their last color, for the more carefully cultivated the chrysanthemum, the slower it is to change.
Yet a single blossom, for whatever reason, had changed to that most beautiful of colors. The prince had it brought to him.
"'I do not love, among flowers, the chrysanthemum only,'" he whispered.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」宿木の巻の末尾(原本番号96-A)の押印。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「宿木の巻」末尾の拡大写真。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(宿木の巻)MRI 49―72A
自筆下二つの印のうち下は、出雲松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
1番上は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
下の写真のうち上段は、国宝「源氏物語絵巻」のうち「宿木一、二、三」(源氏物語絵巻・小学館)
一番上が、国宝「宿木一」、中段が国宝「宿木二」、下段が国宝「宿木三」(徳川美術館・所蔵)
中段の国宝「宿木二」は、婚姻三日目の翌日、今上帝と明石中宮の皇女・匂宮〈右端〉が、夕霧の娘・六の君を抱き、その美しさを初めて陽の光のもとで見る。左側に五人の女房たち。朝廷の優雅な場面として有名。
下段の国宝「宿木三」は、秋の夕暮、二条院での匂宮と中の君。自分より若い六の君が来たことにより、中の君の本音は悲しい。それを慰める匂宮。秋の夕の庭先が大きく画面を占め主役は一番端に置かれている。全体に寂しさを表現して、屋台は右隅に斜めに右下がりという言わば逆斜め。人物配置も不安定な位置で心理の不安を表していると言われている。
近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は宿木(やどりぎ)の内容の要旨
今上帝の后には明石中宮のほかに、左大臣の娘・藤壷女御がいた。 後ろ盾のない藤壷女御の娘・女二宮の行く末を案じた今上帝は、薫ならば夫として申し分ないと判断。碁の勝負の賭けにかこつけて、女二宮を降嫁させる旨をほのめかした。薫はうやうやしく受諾するが、恋する中の君を忘れられないでいた。年も改まり、薫の婚約も匂宮の婚礼の準備が進んでいく。やがて、匂宮の婚礼の噂が耳に入る。中の君は落胆し宇治の山里にこもる。徳川美術館女装の国宝・源氏物語の「宿木」の絵は、天皇家の内部の様子を描いた「源氏物語絵巻」として広く知られている。
自筆上部の「鈿合金釵寄将去」【鈿合(でんごう)金釵(きんざい)寄せ将(も)ち去らしむ) の漢詩の落款
漢詩は「白楽天」が楊貴妃を讃えた長恨歌の一節で、押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」宿木(やどりぎ)の巻》
《原本上部に玄宗皇帝と楊貴妃の物語を詠った漢詩の落款が押捺・宿木の原文に引用されている。》
「宿木」の巻は英文で「The Ivy」と表記されます。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「鈿合金釵寄将去」【鈿合(でんごう)金釵(きんざい)寄せ将(も)ち去らしむ】は、玄宗皇帝が楊貴妃を偲ぶ漢詩文の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。武士の必需品?。泉花堂三蝶『諸鳥飼伝百千鳥』寛政11年序 飼い鳥の餌の製法や病気治療法など鳥の飼育全般を解説した博物学書 江戸時代和本明治刷。軍事的に見た欧州情勢 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦自衛隊戦前NY。菅茶山『黄葉夕陽村舎詩 前編』(全八巻附録二巻五冊揃)弘化4年 河内屋喜兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩集。曲斎注『七部婆心録』(全6冊揃)万延元年跋 山城屋佐兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書。紀成常喜著『平安遷都紀念祭第四回勧業大博覧会 聯合計画予定大略』明治26年石黒劔次郎刊(京都市)。稀少 1850年 嘉永3年 堀川唄 真實録 木版画 浮世絵 山姥 鬼婆 鬼女 妖怪 化物 怪奇 大鷹 侍 刀 着物 和本 草双紙 古書 古文書 約100ページ。曲亭馬琴著 歌川豊広画『朝夷巡嶋記 第四編』(3冊)文政4年 河内屋太助他刊 江戸時代和本 読本 朝夷巡島記全伝。『改正諸罰則一覧 法制局蔵版』明治12年博文本社 明治時代和本 郵便・鉄道・裁判所呼出・証券・狩猟などに関する罪状と罰則(罰金)一覧書。0026716 前々太平記 全20冊(21巻)揃 平住専安 毛利田庄太郎 正徳5年 伊予吉田藩 御殿医。丹頂齋一聲撰點印入俳諧巻 文化文政頃刋寫。▼ 【計5冊揃 定本墨場必携集成 全巻セット 雄山閣 北川博邦 昭和62】182-02403。『曽我物語』(全12巻12冊揃)貞享4年 松會新板 江戸時代和本 絵入本 鎌倉時代の軍記物語 曾我物語。●俳諧書●『誹諧御傘』全10巻5冊揃い 俳諧御傘 松永貞徳著 俳諧式目 作法書 帝畿宣風坊書林●古書 和本 江戸時代 俳句。入手困難 極美 古銭『小林会長古稀祝寿泉譜』日本貨幣協会 昭和37年 拓本 寛永通宝 元文稲荷小判金 古札 神聖ローマ帝国古銀貨 大福二神。広川正編輯『清楽横笛独時習』明治26年 吉沢富太郎刊 清楽譜 明清楽 中国音楽 明治時代和本。都名所画譜 明治27年発行 青木嵩山堂 上下2冊 応挙・景文・呉春・楳嶺他63図。源氏の君・東の院に住む空蝉(うつせみ)の君としみじみと語り合う「源氏物語」初音の巻の原本・大炊御門宗氏・自筆・12B。青木永澄編『新刻仁風一覧 上巻』享保17年序刊 江戸時代和本 天災(享保の大飢饉)の寄附者一覧名簿 災害支援史。f#6 特装本 戦前書籍 鮭鱒聚苑 松下高・高山謙治/著 昭和17年 水産社 1500部限定 当時物 /M04。西天東土/神月徹宗/非売品/大正12年/支那に入り上代の禅跡を訪ひ次で印度に遊び遂に仏世の聖風を慕ふ。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。f23122905〇佳人之奇遇 1~10巻 10冊 東海散士 柴四郎 博文堂 明治24年 会津の遺臣である東海散士佳人之奇遇〇和本古書古文書。古文書 古書 立原翠軒「吉利支丹法服諸器物目録」 昭和3年 珍書大観 吉利支丹叢書 歴史資料 彰考館 水戸藩 (レターパックライト発送)。『読切講釈伊賀越乗掛合羽』安永6年鱗形屋孫兵衛他刊 江戸時代和本 浄瑠璃正本(丸本)七行本。【明治32年 富岡永洗木版『新婚旅行の図』付き 旅行案内 日用百科全書 第14編 大橋又太郎 編 博文館 検】芸術美術古写真古書歴史資料骨董。和装本 講孟剳記 全3冊 吉田松陰 松下村塾蔵版。頼山陽選『古文典刑』(全3冊揃)河内屋茂兵衛他版 江戸時代和本 岡山県師範学校旧蔵書。絵図 (城郭図) 島根県 石見國 浜田城 濱田城 (レターパックライト発送)。室鳩巣著 国枝松宇補『重訂赤穂義人録補正』(全2冊揃)明治5年静観堂伊六 明治時代和本 赤穂事件 赤穂義士 赤穂浪士 忠臣蔵資料。戦前資料 欧州戦争と各国の臨時措置 第1輯 昭和14年 大阪商工会議所 BD03。【倉敷浅尾騒動史】 渡辺頼母編 大正8年。★Z60和本明治27年(1894)古地図「新潟県中頸城郡根越村大字曽根田地図」1冊(21図)/上越市/古書古文書/手書き。源信『阿弥陀経略記』承応3年 秋田屋平左衛門刊 江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書。『頭書絵入 小野篁歌字尽』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物。『小倉百人一首 全』明治18年 東浦英二郎刊(山梨県甲府)明治時代和本。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。前橋藩藩士屋敷割図。☆E0013和本江戸文政13年(1830)序和歌女流文学「気布梨の数恵」全1冊/香習院阿実尼(多田千枝子)/古書古文書/木版摺り。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。仏教語大辞典 上下+別館・索引 3冊 中村元 著 出版社 東京書籍株式会社 昭和五十年第一版発行 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。江戸時代 貞亭二年 伊藤次郎兵衛刊行 慈海宋順 「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 金剛手菩薩説」お経 経本 古文書。j∞* 4冊まとめて 明治期 和本 尊攘紀事 一~四 著・岡千仭 明治15年 龍雲堂 古書/B34下。生花古流百記 上下/ 和服裁縫全集 / 相馬日記 かなり古いもの全て 古書セット アンティーク。(11)珍品古書和本「万葉集類句 一~五」計5冊、長歌部? 寛政十一年発行? 山上憶良、大伴家持、山辺赤人・・・(11)。卜部氏訳『通辯独学並五大洲地名箋』明治6年 宝玉堂蔵・河内屋真七他刊 明治時代和本 明治初期の外国地名書 地理書 地誌。弓道・弓術巻物・日置流雪荷派・方道起請巻・射形目録・八十五箇条・長さ約3m50cm。写図『応永二十四年難波七浦図 全』宝暦5年写 応永24年に描かれた大坂近辺の港湾図 江戸時代古地図 和本。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。f24020805〇文の文庫 書淫欄主人序編 艶書 艶本 江戸末期〇和本古書古文書。■『浮世オン・パレード』酒井潔著・兼編集装丁担当。昭和6年初版。■比較的稀本の範疇。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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