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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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自筆「源氏物語」の「竹河(たけかわ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。清斉主人『書画必携名家全書』(全7冊揃)文久2年序 河内屋茂兵衛他 明治時代和本 書家・日本画家・南画家らの落款印章・花押一覧。その席で玉鬘(たまかずら)の姫君は薫の君が弾く和琴の音色がなき弟の柏木の音色に似ていることに気づく。美濃派以哉派 田中尊雅 白々亭写本 三冊 田中尊雅。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【豪華本 激レア 初版】『廣重』内田實(著) 岩波書店 昭和5年 彩色刷木版画(数ページ) 歌川広重 内田実 東海道五十三次 浮世絵。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。☆2896和本明治13年(1880)序合巻「霜夜鐘十時辻筮」2編上中下3冊/大蘇芳年/武田交来/絵入古書古文書/木版摺り/浮世絵。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。幕府領甲府代官所竹日向村古文書●明治5年頃 教諭談抜書 善立寺物 長原大乗 46丁 山梨郡竹日向村 現在の甲府市 240603 古文書。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。1914年 日本風俗図絵 黒川真道 検索:浮世絵 百人女郎 西川祐信 市井風景 服飾 履物 結髪 芸能 江戸 絵草紙 絵本 京都書林 美人絵 遊郭 原色。また、各巻ごとの書かれた年については不明。杲宝『玉印鈔』(全5冊揃)承応元年刊 江戸時代和本 南北朝時代の真言宗書 仏教書 仏書。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵保管 小笠原 文化十一甲成 八月 書状 古文書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。東京京橋區銀座貳丁目・東京共隆社發行。。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。f24011501〇支那選述 冠註天台四教儀集註 上中下三冊揃 元禄8年 芳野屋権兵衛板〇和本古書古文書。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見ニ付 乍恐以書付奉申上候 4丁 藩主井伊直弼⑨ 下野国安蘇郡 現在の佐野市 231015。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。五本亭万羽編『八雲拾遺 高根五歌仙 全』文化9年序刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 成田蒼句収載。薫の君15歳の正月下旬、髭黒大政大臣の正室であった玉鬘(たまかずら)の姫君の邸に薫の君や蔵人少将(夕霧の子息)が集い催馬楽の「竹河」を謡い興じていた。『複製本 山陽筆 象墜記 原本:高松宮家蔵品 絹本 別冊付き 審美書院 年代不明 頼翁 真蹟 象墜帖 戦前。蔵人少将(夕霧の子息)はその姿を見て二人の姫君のうち姉の大君への思いを募らせていく。浜野知三郎編『海保漁村先生年譜 附論語駁異』昭和13年刊 太田錦城に師事した幕末の考証学派の儒学者/漢学者 漢文集。しかし、髭黒大政大臣という夫のなきあと、玉鬘は朱雀天皇の皇后で明石中宮の権力に圧倒されていた。矢橋赤山・矢橋赤水著 大野鉄之助編『赤山遺稿・赤水遺稿』(全2冊揃)昭和10年 矢橋龍吉刊(岐阜県不破郡)岐阜県・美濃赤坂郷土史料。武士の必需品?。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
「竹河」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。菅茶山『黄葉夕陽村舎詩 前編』(全八巻附録二巻五冊揃)弘化4年 河内屋喜兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩集。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。稀少 1850年 嘉永3年 堀川唄 真實録 木版画 浮世絵 山姥 鬼婆 鬼女 妖怪 化物 怪奇 大鷹 侍 刀 着物 和本 草双紙 古書 古文書 約100ページ。漢詩文の落款が押捺されている。0026716 前々太平記 全20冊(21巻)揃 平住専安 毛利田庄太郎 正徳5年 伊予吉田藩 御殿医。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。『曽我物語』(全12巻12冊揃)貞享4年 松會新板 江戸時代和本 絵入本 鎌倉時代の軍記物語 曾我物語。世のこと(事)ゝして、
かす(数)ならぬ人のなか(中)らひにも、もとより、
ことわりえたるかたにこそ、あいなきおほよその人も、
心をよ(寄)するわさなめれは、院のうち(内)の上(かみ)
下(しも)の人々、いとやむことなくて久しくなり給へる
御かた(方)にのみことわりて、はかないこと(事)にも、
此御かた(方)さまをよからすとりなしなとするを、
御せうとの君たちも、「されはよ。広川正編輯『清楽横笛独時習』明治26年 吉沢富太郎刊 清楽譜 明清楽 中国音楽 明治時代和本。かき(限)りなきさいは(幸)ひなくて、
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。青木永澄編『新刻仁風一覧 上巻』享保17年序刊 江戸時代和本 天災(享保の大飢饉)の寄附者一覧名簿 災害支援史。
何かにつけて穏やかでなく、》・・・・・わだかまりも生じてきたりなどして、
しぜんに女御(弘徽殿女御・冷泉院の正室)と御息所(大君・玉鬘の姫君)との
御仲も隔てが生じてくるようである。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。母君(玉鬘)は気も休まらず聞くのもつらくて、
(玉鬘)「こんな苦労をしないで、のびのびと人目にも好ましく
暮している人も多いでしょうに。『読切講釈伊賀越乗掛合羽』安永6年鱗形屋孫兵衛他刊 江戸時代和本 浄瑠璃正本(丸本)七行本。
備考・玉鬘の二人の姫君のうち大君(姉君)は冷泉院(前冷泉天皇)の妻となり、中の君(妹君)は今上天皇の妻となる。頼山陽選『古文典刑』(全3冊揃)河内屋茂兵衛他版 江戸時代和本 岡山県師範学校旧蔵書。八の宮の姫君・中の君はのちに、今上天皇の皇子・匂宮の妻となる。戦前資料 欧州戦争と各国の臨時措置 第1輯 昭和14年 大阪商工会議所 BD03。
《Bamboo River (竹河)》
Whatever her rank, it is always the senior lady in
such instances who attracts the larger measure of sympathy.
So it was at the Reizei Palace.
Everyone, high and low, took the part of the great
lady who had been with the Reizei emperor for so long.
No opportunity was lost to show the younger
lady in an unfavorable light.
"We told you so," said her brothers, making life yet
more difficult for Tamakazura.
"So many girls," sighed that dowager, "live happy,
inconspicuous lives, and no one criticizes them.
Only a girl who seems to have been born lucky
should think of going into the royal service.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
于是新皇妃的兄更加振振有了,母道:
“看如何!我的没有。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 古文書 書状。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。j∞* 4冊まとめて 明治期 和本 尊攘紀事 一~四 著・岡千仭 明治15年 龍雲堂 古書/B34下。正式な名は伊達貞子。卜部氏訳『通辯独学並五大洲地名箋』明治6年 宝玉堂蔵・河内屋真七他刊 明治時代和本 明治初期の外国地名書 地理書 地誌。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。[R0419-020] 増補名物錦繍類纂 着物 デザイン 図集 明石染人 狩野秀峯 平安堂 京都。
「源氏物語・国宝」「竹河の巻」主人公の資料
下記写真は、「国宝・竹河・源氏物語絵巻」の中に描かれる玉鬘の姫君(大君・中の君)
「源氏物語絵巻 」竹河(国宝)玉鬘の姫君(大君・中の君)の侍女
右下は、玉鬘の姫君(大君・中の君)と御簾の外からかいま見る夕霧の子息・蔵人少将。摂大乗論講読 上田義文 昭和56年 浄土真宗 仏教 検)親鸞本願寺仏陀空海浄土宗浄土真宗真言宗 戦前明治大正古書和書古本 NF。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。けいせい恋飛脚 傾城恋飛脚 安永2年 菅専助・若竹笛躬 浄瑠璃歌舞伎 近松門左衛門 江戸時代 検) 古書和書古本和本古文書写本 NT。この漢詩は「白楽天」に由来するものです。完品 関野準一郎 木版画4枚入『絵入小説 天目山荘』限定160部 昭和30年 私家版。この原詩の言葉の引用は、「竹河の巻」に用いられていることで広く知られている。【昭和49年覆刻・限定500セット「古文書時代鑑(上)」】東京大学史料編纂所編/定価20万円/。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見ニ付御用向御窺之覚と人足数 8丁 藩主井伊直弼⑩ 下野国安蘇郡 現在の佐野市 231015。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。近江彦根藩領出流原村古文書●文久3年 人相書写・御触書 新徴隊関係 1+8通 下野安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240504 102。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。C1/桃垣葉 上下 和綴本。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。最短即日発送 激レア 初版 1902年 小泉八雲 ラフカディオ・ハーン『骨董』 KOTTO 洋書 古書 GENJIRO YETO アンティーク 現品限り 英語版。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。賀茂季鷹著 源躬弦跋『正誤假名遣』天明8年跋 上総屋利兵衛版 江戸時代和本 歌人・国学者による仮名遣い一覧書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。サナエ748 江戸期 古文書 明和九年略年代記 江戸大火の報告書 9ページ 墨筆 肉筆 本物保証 越前府中蔵うぶだし。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。『筆道指南手引草』(全3冊揃)文化3年多田勘兵衛他刊 江戸時代和本 書道往来物。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。古文書 希少『大臣関白状』『二条政関白』室町時代 二条正嗣 肉筆 公卿 関白 太政大臣 祭り事 皇室 神事時代物唐本唐物政事古書古筆古美術。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。影宋本 備急千金要方(千金方)孫思邈 医学書(複製)和綴じ本(和本)35冊揃 昭和49年 限定500部 タトウ箱 毎日新聞社 専門書 s22042403。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書 書状 歴史的逸品。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。1930年代中国 看板 幌子 招牌 検索:図譜 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 青楼 武館 当舗 銭荘 書館 租界 銀号 煙館 書局 薬舗 老照片賭館。母は後水尾天皇皇女女二宮。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 小笠掛之書 古文書。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。小堀遠州自筆書状幅 永井尚政宛。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。古書_ 寛政八丙辰初から昭和四十三年版+古文書のセット。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。古文書 会沢正志斎 書簡 水戸藩士 (レターパックライト発送)。e4ba94e7af80e381aee8889ee5a7ab。
「竹河の巻」は、薫の君、14歳から23歳までの恋物語。薫の君15歳の正月下旬、髭黒大政大臣の正室であった玉鬘(たまかずら)の姫君の邸に薫の君や蔵人少将(夕霧の子息)が集い催馬楽の「竹河」を謡い興じていた。【貴重 豪華版 本体表紙極美】『平安紋鑑』昭和11年(初版 7月5日3版)和綴 京都染物同業組合紋上絵部 家紋、源氏香、花押、他多数掲載。f240502030〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐御坂越 山梨県富士河口湖町 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現地報告・15冊/昭和15年/日華條約の次に来るもの/日米危機に備える/アメリカの参戦近し/第三次近衛内閣と獨ソの死闘/東條内閣とアメリカ。戦前の印譜集 折本 両面 絹装 昭和五年~八年 (古文書 和本 梵字。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。夷舶聞見末 ペリー来航 黒船 嘉永六年六月。f24052516〇明治布告布達 東京開成学校東京医学校を合併し東京大学と改称 文部省 岩手県布令書 明治10年〇和本古書古文書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古文書 書状。☆E0147和本明治20~22年養蚕「蚕務問答」巻1~3の3冊揃い/佐々木長淳/絵入古書/活版/山内為寿旧蔵本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。弘法大師・灌頂記/明治39年/日本の書聖として慕われる空海の傑作・気構えのない倉卒の魅力を持つ/明治36年国宝指定・高雄神護寺所蔵。諸御役御大名方警衛之略図。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。田川鳳朗編『続砺浪山集 続有磯海集』(全2冊揃)天保11年後跋刊 江戸時代和本 俳諧書 連歌 俳句 俳書 富山県郷土資料 松尾芭蕉関連書。『松浦星洲印譜集 多自刻』江戸後期〜明治時代頃 落款篆刻 原鈐印譜100顆以上。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。山崎美成編 掌中和漢年代記集成 全 弘化3年 山城屋新兵衛 吉田屋文三郎 東都 和本 和書 古書 中国美術 古本 本 作品集 z7341o。m327◆裁断要事録◆写本◆江戸 寛政 関所改方 入鉄砲出女 手負 囚人 死骸 首 道中奉行 扶持 川越 街道 往来@和本/古文書/古書。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。三楠遺規 東沢瀉 明治16年 楠木正成 天皇 陽明学儒教朱子学 尊皇攘夷明治維新 岩国藩山口県岩国市 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本NZ。■『滑稽席上演説』痩々亭骨皮道人(西森武城)著。明治23年初版。ボール表紙本。汚本瑕疵有ります。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。神秘霊魂・口よせの術/高田俊一郎/大正7年/忍術魔法術/痛烈なる実行方法の書いてあるのは知らなかった・双龍軒先生は武芸の達人であろう。f23080405〇地学事始 上中下 3巻揃い 松山棟庵訳述、慶應義塾出版局 木版色刷地図 各国旗入 明治3年〇和本古書古文書。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。日本名蹟図誌第三編・加能宝鑑・上下2冊/渡辺市太郎/明治31年/加賀国総説・能美郡総説・石川郡総説・金沢市総説・河北郡総説・能登郡総説。イソップ原作 楠山正雄編 武井武雄画『イソップものがたり 幼年文庫』昭和24年 光文社刊。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。経典【仁王経開題 附仁王経陀羅尼】高野山根本大塔完成局 真言宗 経文 (管理74425016)。北満風土雑記/三上次男/昭和13年/歴史考古民族等諸學の研究者に歡迎されることは勿諭一般讀者も北満跋?の雄圖が勃として胸裡に湧起する。
出品した「源氏物語」は竹河(たけかわ)の内容の要旨
「竹河」(たけかわ)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。薫の君、14歳から23歳までの恋物語。平城明徳序『元明花鳥画典』(全2冊揃)1883年 青木嵩山堂刊 明治時代和本 木版画 元明華鳥画典 中国絵画 中国美術 中国古画。絵図面古文書●宝永2年(1705) 城郭図 縄張り 240504。その席で玉鬘(たまかずら)の姫君は薫の君が弾く和琴の音色がなき弟の柏木の音色に似ていることに気づく。3月の桜の花盛りの夕暮れ時、玉鬘(たまかずら)の二人の姫君が御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っていた。【洛座】王羲之彙帖大観 10冊 揃い 于右任題 呉昌碩 < 煎茶道具急須中国古美術中国古書漢籍書道碑法帖。川尻宝岑序 一糸画『寛政秘録夢物語』明治18年 村杉吉作刊/永昌堂発兌 明治時代和本 浮世絵 錦絵。薫の君、蔵人少将と玉鬘(たまかずら)の二人の姫君のきらびやかな恋物語が描かれている
原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)玉鬘には美しい二人の姫君(大君・中の君)がいる。(八の宮の姫君とは別)二人の姫君には冷泉院(前冷泉天皇)、今上天皇、そして蔵人少将(夕霧の子息)というきらびやかな求婚者がいる。太平記新釈 石田吉貞 著 大同館書店 大正15年 裸本。廓東近丸撰『噺の尻馬』(全5冊揃)文政6年河内屋儀助他刊 百溪禄郎太旧蔵書(印記「百溪蔵書」)江戸時代和本 噺本 落語 妖怪図入。明石中宮という圧倒的な権力者の前に自分の立場が風前の灯であることを悟る。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。(2)珍品古書和本「単騎要略」全5冊揃 武具 鎧 甲冑 着用 方法ほか絵入 村井昌弘 江戸期 木版画 虫損あります。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。泉花堂三蝶『諸鳥飼伝百千鳥』寛政11年序 飼い鳥の餌の製法や病気治療法など鳥の飼育全般を解説した博物学書 江戸時代和本明治刷。軍事的に見た欧州情勢 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦自衛隊戦前NY。
《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。曲斎注『七部婆心録』(全6冊揃)万延元年跋 山城屋佐兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書。紀成常喜著『平安遷都紀念祭第四回勧業大博覧会 聯合計画予定大略』明治26年石黒劔次郎刊(京都市)。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。
自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の
落款が押捺されている。曲亭馬琴著 歌川豊広画『朝夷巡嶋記 第四編』(3冊)文政4年 河内屋太助他刊 江戸時代和本 読本 朝夷巡島記全伝。『改正諸罰則一覧 法制局蔵版』明治12年博文本社 明治時代和本 郵便・鉄道・裁判所呼出・証券・狩猟などに関する罪状と罰則(罰金)一覧書。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。丹頂齋一聲撰點印入俳諧巻 文化文政頃刋寫。▼ 【計5冊揃 定本墨場必携集成 全巻セット 雄山閣 北川博邦 昭和62】182-02403。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《くねくね》・・・・しき事いてきなとして、をのつから
御中もへたゝるへかめり。●俳諧書●『誹諧御傘』全10巻5冊揃い 俳諧御傘 松永貞徳著 俳諧式目 作法書 帝畿宣風坊書林●古書 和本 江戸時代 俳句。入手困難 極美 古銭『小林会長古稀祝寿泉譜』日本貨幣協会 昭和37年 拓本 寛永通宝 元文稲荷小判金 古札 神聖ローマ帝国古銀貨 大福二神。あしうやは聞こえをきける」
と、いとゝ申し給ふ。心やすからす聞きくるしきまゝに、
「かゝらて、のとやかにめ(目)やすくて、よ(世)を過くす
人もおほ(多)かめりかし。都名所画譜 明治27年発行 青木嵩山堂 上下2冊 応挙・景文・呉春・楳嶺他63図。源氏の君・東の院に住む空蝉(うつせみ)の君としみじみと語り合う「源氏物語」初音の巻の原本・大炊御門宗氏・自筆・12B。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《太政大臣の正室・玉鬘の姫君(大君・中の君)への冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の求愛物語・自筆「源氏物語」「竹河」の原文》
《大君・冷泉院(前冷泉天皇)の許に輿入れ》
《冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇主催の管弦の宴》
《冷泉院(前冷泉天皇)と大君の間に女宮が誕生、中の君尚侍となる》
《玉鬘の姫君(大君)男子を出産》
《これまでは女一の宮をこのうえなくたいせつにしていらっしゃったものを、
こうしてそれぞれにおかわいらしく御子があいついでお生れになったのだから、
あまりにも思いがけないこととてご寵愛もまったく格別であるのを、
女御(弘徽殿女御・冷泉院の正室)も、こんなふうに度が過ぎては
おもしろくないことになりそうだと、平らかならぬお気持になるのだった。f#6 特装本 戦前書籍 鮭鱒聚苑 松下高・高山謙治/著 昭和17年 水産社 1500部限定 当時物 /M04。西天東土/神月徹宗/非売品/大正12年/支那に入り上代の禅跡を訪ひ次で印度に遊び遂に仏世の聖風を慕ふ。
世間の習いとして、つまらぬ男女の間でも、はじめから筋の通っているほうに、
かかわりのない第三者も味方するもののようであるから、
院(冷泉院・前冷泉天皇)の内の人々は上下ともども、まことに貴い女御という
ご身分で長年お過しになった御方(弘徽殿女御・冷泉院の正室)のほうに
ばかり理があるように考えて、些細なことについてもこの
御息所(大君・玉鬘の姫君)のほうをよからぬものに取り沙汰などするので、
御息所(大君・玉鬘の姫君)の御兄の君(左近中将と右大弁)たちも、
(左近中将・玉鬘の子息)「それごらんなされ。
まちがったことを申しあげたのではなかったでしょう」
と言いつのって申される。f23122905〇佳人之奇遇 1~10巻 10冊 東海散士 柴四郎 博文堂 明治24年 会津の遺臣である東海散士佳人之奇遇〇和本古書古文書。古文書 古書 立原翠軒「吉利支丹法服諸器物目録」 昭和3年 珍書大観 吉利支丹叢書 歴史資料 彰考館 水戸藩 (レターパックライト発送)。
ぬきんでた幸運に恵まれるのでなかったら、・・・・・《宮仕えなど
思い立ってはいけなかったのでした」
とお嘆きになる。》
追記・玉鬘の姫君(大君)に対し、冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の二人から、入内の要請が来ており、玉鬘の姫君が迷っている場面を記しております。【明治32年 富岡永洗木版『新婚旅行の図』付き 旅行案内 日用百科全書 第14編 大橋又太郎 編 博文館 検】芸術美術古写真古書歴史資料骨董。和装本 講孟剳記 全3冊 吉田松陰 松下村塾蔵版。今上天皇の正室(皇后)は明石中宮で匂宮の母君。桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮の姫君(大君・中の君)とは別人。絵図 (城郭図) 島根県 石見國 浜田城 濱田城 (レターパックライト発送)。室鳩巣著 国枝松宇補『重訂赤穂義人録補正』(全2冊揃)明治5年静観堂伊六 明治時代和本 赤穂事件 赤穂義士 赤穂浪士 忠臣蔵資料。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《柯根(竹河)》
就世一般人情看来,无身低微的人家,
于首先来而地位正当的人,即使是无甚系的人,
亦必特重。因此冷泉院内上下人等,
些些小事也都袒出身高、
入侍年久的弘徽殿女御而指斥新皇妃非。『頭書絵入 小野篁歌字尽』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物。『小倉百人一首 全』明治18年 東浦英二郎刊(山梨県甲府)明治時代和本。”
玉鬘夫人听了很不愉快,心中非常。息道:
“没有像我女儿那痛苦而悠安地度送一生的人,
世多得很。前橋藩藩士屋敷割図。☆E0013和本江戸文政13年(1830)序和歌女流文学「気布梨の数恵」全1冊/香習院阿実尼(多田千枝子)/古書古文書/木版摺り。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
左の写真が「源氏物語」竹河の巻の末尾(原本番号41-B)の押印。仏教語大辞典 上下+別館・索引 3冊 中村元 著 出版社 東京書籍株式会社 昭和五十年第一版発行 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。江戸時代 貞亭二年 伊藤次郎兵衛刊行 慈海宋順 「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 金剛手菩薩説」お経 経本 古文書。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。生花古流百記 上下/ 和服裁縫全集 / 相馬日記 かなり古いもの全て 古書セット アンティーク。(11)珍品古書和本「万葉集類句 一~五」計5冊、長歌部? 寛政十一年発行? 山上憶良、大伴家持、山辺赤人・・・(11)。左端の写真は「竹河の巻」末尾の拡大写真。
上の篆書体は、「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)の押印。弓道・弓術巻物・日置流雪荷派・方道起請巻・射形目録・八十五箇条・長さ約3m50cm。写図『応永二十四年難波七浦図 全』宝暦5年写 応永24年に描かれた大坂近辺の港湾図 江戸時代古地図 和本。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(竹河の巻)MRI 44―35B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。渡辺玄対『南画山水画式』(全2冊揃)大正7年松山堂蔵版 江戸時代中期の山水画家が中国絵画(中国古画)を臨写した木版画譜 中国美術 和本。茶之湯故實奥儀鈔巻四・茶之湯故實奥儀鈔巻五・2冊/元禄十一年/和本・貴重茶道史料。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「竹河」原本に記されております。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「竹河の巻」を書いていることがわかります。広瀬旭荘『梅詩鈔 初・ニ・三編』(9冊)嘉永元年河内屋茂兵衛他刊 漢詩集 江戸時代和本。和本 虞列伊氏解剖訓蒙図2冊揃 医学書 送料無料。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。
「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の落款が押捺されている。楽翁 松平定信書幅。f240502032〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐犬目峠 山梨県上野原市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。フリードリヒ・フォン・シラー原著 葦田束雄『字血句涙 回天之弦声』(全2冊揃)明治20年鎗田政治郎刊 明治時代和本 ドイツ文学翻案書。東京名所 巻一・巻三 寫本 江戸名所圖會抜萃。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。川越藩(前橋藩)前橋御陣屋絵図。戦後の満州四星霜/梅震/昭和33年/長春・哈爾濱・長春から瀋陽まで・大連・舞鶴-東京/日本銀行旧友会誌「日の友」に連載したものに補筆。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。歌舞伎音曲 芸娼妓事情 通人必携 全 漫著:花笠文京 明治17年 繪入自由出版社★Hi.43。送料無料!? 戦前 主婦之友6月号付録 島田啓三 新案カハリ絵 コロコロ探検隊 昭和24年あたり 当時物 昭和レトロ。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。邪宗門 北原白秋 日焼け強/HCZG。佐藤鶴城(佐藤民之助)『とし玉』河内屋喜兵衛他刊 水戸藩に仕えた和方の医師 江戸時代和本 医学書 医書 東洋医学 健康法 長寿法。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。修養秘訣 精神強化療法 昭和14年発行。中外新聞 外篇 巻1~巻23(終巻)完揃 柳河春三。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。松井輝星(松井羅洲)『它山石初編』(全四巻四冊揃)弘化2年 銭屋惣四郎他刊 江戸時代和本 易学者による随筆集。軍事資料 兵営図 絵図★「歩兵第三十連隊略図」明治34年11月発行 所在地 新津 - 村松 - 高田。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。新版・満洲名勝風俗写真帖/大正3年/歩兵第五十八連隊兵営全景/遼陽領事館/柳樹屯の奇勝/大連全市の瞰望/海城公園/海賊の斬首/子供の売買。『外務省蔵版 日本独逸條約書 全』明治2年刊 明治時代和本 日本-ドイツ外交史料。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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